オマへは何でも屋になれば良い
火曜日, 10月 13th, 2009死んだオヤジの言葉だが、随分昔の事だ。
聞いた当時は「くず野郎」みたいに言われた気がしたが、
今は何をしていても、誰かに喜んで貰えれば嬉しい。
そして、たまに共に喜べることがあれば、それは大事だ。
仮に同じ的に向かって進む事ができればば、それが本望だ。
生きる事を決めた私にとって。
今は、何でも屋になれる気がする。
| こころはいつも解放区 |
| あの世とこの世の間にあるその世を生きろ。日はまた昇る! |
死んだオヤジの言葉だが、随分昔の事だ。
聞いた当時は「くず野郎」みたいに言われた気がしたが、
今は何をしていても、誰かに喜んで貰えれば嬉しい。
そして、たまに共に喜べることがあれば、それは大事だ。
仮に同じ的に向かって進む事ができればば、それが本望だ。
生きる事を決めた私にとって。
今は、何でも屋になれる気がする。
僕がまだ 小学2年生くらいのとき 原爆の事を知った。それは恐ろしいことで、随分長い間怯えていたような気がする。死に対する恐怖だったのか、あるいは生き地獄への恐怖だったのか、それすら良く覚えていない。
ただ、はっきりと覚えているのは、ある朝、朝食宅での祖母の回答。「よーわからんけど、一番怖いのは人間なんよ。」というコトバ。
ほんの一言で人は生きていける。そして死する事もある。
しかし、それを教科書に書かれているような口調で語られるとイライラする。